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お正月の思い出

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 西日本では松の内が1月15日なので、まだお正月と称していいのだろうが、すっかりおとそ気分も覚めてしまった。それにしても、年を追うごとに正月らしさが無くなるのを感じる。
 
 どうしてこんな気分になるのだろうか。
 
1.お正月の定番行が減った。
2.3が日もお店は開いているので、正月らしさが無くなった。
3.両親が他界して、家族・親せきが一堂に会することが無くなった。
4.正月ならではの遊びというものが廃れてしまった。
5.NHK紅白歌合戦や、芸能人かくし芸大会など、恒例のテレビ番組の魅力が減った。
6.子も大きくなり、家族で何か一緒に行うことが減った。
 
 こんなところだろうか。
 
 正月には定番の行事がある。
 
正月前
 
1.まずは大掃除。家族総出で行っていた。(12/13~12/28)
2.しめ縄を飾る。(*門松は立てたことがない)(12/27、12/28)
3.鏡餅を飾る。(12/27、12/28)
4.年越し蕎麦を食べる。(大みそか)
5.除夜の鐘を聞く。(大みそか)
 
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お正月
 
6.初日の出を拝む。(元旦)
7.初詣に出かける。(元旦)
8.おとそをいただき、おせち料理を食べる。(元旦)
9.お雑煮をいただく。(元旦)
10.お年玉を上げる(貰う)。(元旦)
 
イメージ 2

11.書き初めを行う。(1月2日)
12.七草粥をいただく。(1月7日)
13.鏡開きを行う(1月11日)
14.左義長(自分の地域ではとんどと呼んでいた)を行う。(1月14日夜/1月15日朝)
 
それから忘れてはいけないのが年賀状。出すのは苦手だったがいただくのはとても嬉しい。
 
イメージ 3

 
 こんなに行事があったのだ。それが最近は減っている。
 
 そしてお正月ならではの遊びも…。
 
唱歌 お正月(1901)/一月一日
 
 

<歌詞>もういくつねるとお正月お正月には 凧あげてこまをまわして 遊びましょうはやくこいこいお正月 もういくつねるとお正月お正月には まりついておいばねついて 遊びましょうはやくこいこいお正月
 
イメージ 4○凧揚げ:
 
 古来中国では、凧揚げは占いや戦いの道具のひとつだった。
 
 日本には平安時代に貴族の遊戯として入ったが、戦国時代には、敵陣までの距離を測ったり、遠方へ放火する兵器としても活用されていたそうだ。やがて江戸時代になると男の子の誕生祝いとして凧あげをするようになり、庶民の遊びとしても広まっていった。
 
イメージ 5○独楽(こま)まわし:
 
 世界最古の独楽は、エジプトで発見された紀元前20001400年頃のものだそうだ。
 
 日本へは奈良時代に唐から高麗(こま)を経て伝来したのでこまという名前になり、独楽の字が用いられた。当初は貴族の遊戯だったが、江戸時代から庶民の遊びとして広がった。
 
 独楽の種類としては、軸を通したデアボロ、軸のないベエ独楽2種類に分けられる。遊び方も、回転の美しさを楽しむもの、独楽同士をぶつけ合って勝負するもの、曲芸的な技を楽しむものなどいろいろある。
 
イメージ 7○羽つき: 
 
 中国で羽根に硬貨をつけたものを蹴る遊びがあり、これが室町時代に伝来した。
 
 当時の宮中の様子を記録した『看聞御日記』1432年)では、羽根つきに負けたらお酒を振舞っていたと記録されているという。
 
 やがて羽根つきで厄祓いできると信じられるようになり、江戸時代には、年末になると邪気を祓うための羽子板を贈るようになる。打ち損じると顔に墨を塗るのも、魔除けのおまじないである。
 
 お正月は、「お正月」の歌にある「凧揚げ」、「独楽まわし」、「羽つき」の他こんな遊びがあった。
 
イメージ 6
 
○面子(めんこ):
 
 今でこそめんこは厚紙でできているが、江戸時代には粘土で人の顔(面)をかたどった「泥面子」が作られ、ここからめんこという名になった。
 
 やがて明治時代の鉛のめんこを経て、大正時代には紙のめんこが主流になる。遊び方は、床に置いためんこめがけて自分のめんこを打ちつけ、風圧や衝撃を利用して相手のめんこを動かすのが基本だが、勝者が敗者のめんこをもらい、最終的に枚数の多い者が勝ちとなるのが一般的である。
 
○かるた:
 
 読み札と絵札を使ったカードゲームで、百人一首を用いた「百人一首かるた」と、いろは歌を用いた「いろはかるた」がある。かるたの語源はポルトガル語だが、平安時代の貝合わせがルーツ。
 
■「百人一首かるた」は平安時代につくられた様々な和歌集を、鎌倉時代に京都の小倉山に住んでいた藤原定家が集めた「小倉百人一首」でできており、宮中の遊びだったものが江戸時代の木版画技術によって庶民に広がり、お正月に楽しまれるようになった。
 
■「いろはかるた」は「犬も歩けば棒にあたる」などのことわざを用いたもので、子供でも理解しやすい内容で、ことわざを覚えるのにも役に立つ。
 
○双六(すごろく):
 
 双六には「盤双六」 と「絵双六」がある。
 
「盤双六は」現在はほとんど姿を消しているが、1対1で対戦し、将棋盤のような双六盤の上でサイコロに従って多数の駒を動かすゲームで、その名の通り双方に6つのマス目がある。
 

■この盤双六と区別するためにお馴染みの双六を「絵双六」という。東海道五十三次を進んでゆく「道中双六」や「出世双六」が江戸時代に人気をよび、お正月などに親しまれるようになる。大正時代になると『少年倶楽部』などの雑誌の付録として様々な絵双六が登場し、畳めば薄くなって見栄えも良いため、新年号の目玉付録として定着していった。

○福笑い:

 

 ルーツは定かではないが、明治時代からお正月の遊びとして定着している。目隠しをして、輪郭を描いた紙の上に、目・鼻・口・耳などを置いていくゲームであるが、出来上がった顔立ちが滑稽なので、それを笑って楽しむ。おかめやお多福などの絵が多く、「笑う門には福来る」と縁起がいいことから、正月にふさわしい遊びになったようだ。

○お手玉:

 
 お手玉のルーツは古代ギリシャで羊の骨を使った拾い技だったといわれている。日本では奈良時代に中国から伝わった「石名取玉」(16個の水晶玉)が法隆寺に残っており、聖徳太子がお手玉遊びをしていたという説もある。平安時代になって石を使った「石なご」遊びが一般に広がり、江戸時代に入ってから、袋の中に小豆、粟、ひえ、大豆などを入れたお手玉になった。
 子供の頃は本当に正月が待ち遠しかった。正月しか飲めない禁断のお酒もちょっぴり楽しみの一つだったかも知れない。
 
 それから後も普段は離れ離れになっている両親と家族の夫婦や子供が会える正月は大きな喜びだった。
 
 今、正月は家族4人が水入らずで飲んで話が出来るとき。
 
 こうして見ると、今も正月は楽しみなんだネ。
 
 
 
 
 
 

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