今週の土日、帰郷した。義母の米寿(88歳)の祝いのためである。もう何と20年近くも会っていない。本当に久しぶりの里帰りである。
新横浜から広島まで新幹線に乗ったが、家族4人全員で遠出するのも珍しい事だ。
3日(土)の昼、新幹線広島駅に隣接するホテルグランピアに義兄夫婦が予約してくれた、5Fの個室(写真)に集合。
久しぶりに会う義母は見かけはそんなに変わらないが、一回り小さくなった感じだ。少し耳が遠くなっている。
義兄は一歳年下だが、定年後は夫婦で旅行や陶器作り、自家菜園などで悠々自適の生活を送っている。いまだ働きづくめの自分とは正反対の人生だ。そういう生き方が出来るのもうらやましい。
この個室は、なかなか立派なところで、食事もおいしい。思い出話と近況で話がはずむ。
家族とは一旦ここで別れ、自分は一人で地元の呉に帰り、夕刻友人と、その妹さんに会う。
彼とは第970話:同窓会その1でブログに書いたこともあるが、東京で行った高校の同窓会以来なので4年ぶり、妹さんとは四半世紀ぶりの出会いである。
友人とは主に高校時代に付き合いが深い。お互いに家に来て泊まっていくことも多かった。
もちろん仲は良かったが、自分がわがままなせいでよくケンカをした。そんな思い出話に花が咲いた。
妹さんは1歳年下のいわゆる「年子」である。彼の家に行き来しているうちに彼女が好きになった。ところが、当時は今からは想像もつかない内気な性格で、それを言いだすことも出来ない。それでも勇気をふるって何度かデートに誘いだしたが、全くその気が無い。完膚なきまでたたきのめされ、辛い失恋を味わった。
そして、彼女がまだ二十歳そこそこのときだったと思うが、5歳位年上のイケメンとさっさと結婚した。聞くところによると、どうもその頃から付き合っていたようだ。
それが、その20年後今回と同じように3人で居酒屋に行く機会があり、そのとき帰りは彼と別れて二人きりになった。彼女は酔っていたせいもあるのか、自分からしっかり腕を組み、別れ際には頬に「キッス」というおまけまでついた。
その余韻?が忘れられず、恐る恐る妹さんも呼んでくれるよう頼んだ。彼女は毎日朝刊を配る仕事をしているので朝が早い。無理じゃないかと彼は言っていたが、二の句を告げずOKしてくれたようだ。
彼女に会うのが楽しみだ。
楽しいひとときだった。次に彼の行きつけのカラオケスナックに行き、歌って帰った。
橋幸夫/霧氷(1966年)
ちょっと声をかければ気軽に付き合ってくれる。少し「恋人気分」まで味わえる。自分はこんな女性と楽しいときを過ごしたいと思っている。呉に住んでいると、彼女とはそんな関係になれそうな予感がする。ちなみに、夫は既に亡くなったという。
歌はべた褒めしてくれた。気分が良かったことは言うまでも無い。
最後は、彼女が好きだというこんな曲を歌った。
野村将希/一度だけなら(1970年)
それから、その晩は呉に住んでいる次姉の家に行き泊まった。もう遅い時間だったが、もちろん待っていてくれた。不肖の弟なのに、いつまでも自分を支えてくれる本当に有難い姉夫婦だ。
今日は朝からもう6回もお酒を飲んでいる。さすがにもうクタクタで、あまり飲めなかったが、義兄を加え話がはずむ。気がついたら24時を回っていた。
兄とも久しぶりだ。自分と会うのを心待ちにしていたようだ。
場所は五日市駅からバスで10分のところにある。バスは1時間に1本と、少ない。
10時40分頃に着く。兄とは10年ぶり位だろうか。77歳だから年を取って見えるのも当然だが、兄も義母と同じく背が小さくなった感じだ。
しかし、思ったより頭はしっかりしている。
老人ホームでの単調な毎日。想像はしていたが、不満が爆発している。その愚痴を聞いてあげることしか出来なかった。
唯一の身寄りである兄弟に会うのが最大の楽しみだと思う。これからも出来るだけ寄ってあげたいが、何せ横浜と広島は遠すぎる。
もう二度と会えないかもしれないが、「必ずまた来るよ」と言って涙の別れをした。
この2日間で久しぶりにいろんな人と会った。
もう横浜の生活の方が故郷にいる期間より多くなった。
室生犀星ではないが、「ふるさとは遠くにありて思ふもの」と田舎に帰って生活することは無いとずっと思っていたが、少し気持ちに変化があった。
故郷に帰るのもいいかもしれない。
北原謙二/ふるさとのはなしをしよう(1965年)