誰しもほめられると嬉しいものだ。子供を「ほめて伸ばす」ことは既に常識だが、大人だって同じことだ。
ほめられるのは、他人から認められたということである。
左図のマズローの欲求5段階説と、ハーズバーグの2要因説によると、マズローの④承認欲求、⑤自己実現欲求を、ハーズバーグは、「あればあるほど元気になる欲求」として「動機付け要因」と呼んだ。
この特徴は「無限で無料」であること。いくらでも認め、ほめ、無限に動機付けできるということだ。
ところで、前述した他人に認められたいという「承認」には、①成長承認、②成果承認、③存在承認の三つのレベルがある。
①成長承認:成長、努力、工夫を認める
②成果承認:できた水準を認める
成果承認とは、できた結果・水準を認めることをいう。人は無意識に自分や世間基準で他者を比較しがちだ。日常でいえば、試験の結果が100点は認めるが、それ以外は認めないというものだったり、営業成績や報告書などの出来が期待水準になかなか届かないものは認められないなど、結果重視で、そこに至る努力や工夫は無視される傾向がある。
成果承認中心の文化のある組織では、結果が伴わない限り、否定されがちとなり、「うつ」や「学習性無力症」が増えやすい傾向にある。
③存在承認:関心を持つ
存在承認とは、その人に関心を持ち、存在を認めることをいう。日常では、挨拶をしたり、その人の名前を呼ぶ、飲食を共にするなどの行為が存在承認となる。
存在承認の逆は「無視」「シカト」という、存在をないがしろにする行為で、いじめの常とう手段だ。メンタルヘルス不調の際にとく聞く言葉に「居場所がない」というものがある。存在を「無視」された状態は、最も心にダメージを与える。
朝日新聞土曜版be・9月12日号にこんな記事があった。
以下、要約。
最後にほめられたのはいつだったかしらん?というか人生で何回ほめられた?深く考えると落ち込みそうなテーマですが、みなさんからは、ふとしたほめ言葉が心にしみた、支えになったというコメントを多数いただきました。
ただし「頭がいい」は注意が必要なほめ言葉だという。「誰に言われてもうれしい、という人は少ない。あんたに言われたくないと反感を呼ぶ恐れもある」
5位の「センスがいい」も同様だ。無難そうな10位「若く見える」でも「バカにされているようで嫌い」な人もいて、ほめ言葉は一筋縄ではいかない。
そのせいか、考えすぎてしまう人も多いようだ。「言葉を選んでいる間に機を逸してしまう」、「口に出すとなぜかお世辞っぽくなる。ほめ言葉とお世辞、どこが違うの?」
これに対し、本間さんは「失敗を恐れず口に出しましょう」と説く。「ほめたりほめられたりすれば家族や友人どうし人間関係はよくなるし、職場では仕事の質も上がります」誰かにほめられれば、ほめる余裕が生まれる。とかく「ほめ不足」の日本社会に好循環が生まれるというのだ。
■相手を観察、ほめ上手に
ただ練習が欠かせない。「たとえばタクシーに乗ったら運転手さんをほめる。運転の仕方、道の選び方、車やオーディオへのこだわりなど、気をつければほめどころはたくさんあります」。ほめる技術の8割は観察力、2割が表現力。ボキャブラリーを増やし表現が豊かになれば観察の切り口も増す。肝心なのは、相手に関心を持ち注目していると伝えることだ。
「親にほめられ慣れてないせいか、どうせ社交辞令でしょ、何か下心ある? と素直に喜べない」という声もある。だが、「必要以上の謙遜は相手を否定することになる。ほめられたらありがとう、と自然に受け止めましょう」と、本間さん。
ところが立場や年齢が違うと事情も変わる。「自信をつけさせようとほめて育てた娘。小4になり、もっと能力がある人がいると気づき『お母さん親ばか!』と言い放った」、「小さい頃はうれしそうにしたのに、『気持ち悪い! 嫌み?』と返された」
本間さんは「相手の変化を見ずにずっと同じパターンではだめ。思春期の子には面と向かってではなく、独り言のようにボソッと言ってみるとか、わざとらしくない範囲で工夫を」と助言する。
誰にほめられたいか尋ねた設問では、50%の人が「配偶者・恋人」を選んでトップ。「妻の料理や手際よさをほめてきた。定年退職した今、毎日家にいても邪魔にされることもなく、楽しい会話ができる」という成功例もあるが、多数派にとっては無い物ねだりだろう。「夫からほめ言葉はなく、こちらからも言わない。こちらから言うべきでしょうが、難しいです」
男性に対し、本間さんは「ありがとう」も立派なほめ言葉、日頃から妻に感謝を口にすることを勧める。女性に対しては「問題解決能力を評価されると男性は一番喜ぶ」。いずれの場合も最初からうまくやろうと思わないこと。「慣れないことには違和感があって当然。違和感を持ちながら続けてこそ上達します」
海援隊/あんたが大将(1976年)