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日本の渡し船【その2】

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矢切りの渡し
 
 
イメージ 8東京の下町を巡ったのは今から10年前の56歳、2005年の秋のことだった。
 
 ある会社を辞め、当時は失業の身であったが、ほぼ同時に同じ会社を辞めた友人と、何度か近場の旅行を重ねた。「矢切りの渡し」はそのとき初めて出かけたところだった。
 
 荒川を越え、柴又のすぐ近くの江戸川を渡ると、もうそこは千葉県の松戸市だ。
 イメージ 9

イメージ 1 渡船の料金は大人200円、子供・自転車各100円現在はほぼ観光用途のために存在するが、元が渡し船だったため、渡し場に多少の土産物屋がある程度で、特に観光化されているわけではない。小さな売店と、幾つかの椅子がある程度で、桟橋も渡し船も、拍子抜けするくらい、整備もされていない。(写真)
 
 この渡しが日本全国に有名になったのは、明治時代の伊藤左千夫の小説野菊の墓1906年)によるところが大きい。現在、矢切にこの小説の文学碑が建立されている。また、矢切の対岸柴又を舞台とする映画男はつらいよシリーズの作中にも、しばしば登場する。
 
 江戸時代初期に江戸幕府が地元民のために設けた利根川水系河川15ヶ所の渡し場のうちのひとつであり、観光用途に設けられたものではない。かつては官営だったが、その後民営となり、代々個人により運営されている。
 
「矢切の渡し」は、石本美由起作詞、船村徹作曲による演歌。
 
イメージ 2 プロデューサーだった中村一好をはじめとする製作陣は本作をシングルのA面として発売することを希望したが、ちあきなおみ「酒場川」A面とすることを希望したため、本作はB面収録となった。1982年にはちあきなおみのA面シングルとして発売された。(写真)
 
 1983年に多くの歌手によって競作され、中でも細川たかしの歌が最高のセールスをおさめた。 
 
ちあきなおみ/矢切の渡し(1976) 
 

日本一短い航路「音戸の渡し船」 
 
イメージ 3 我が故郷、広島県・呉市倉橋島(音戸町)の間の海峡「音戸の瀬戸」に、日本一短いとされる海上定期航路(音戸渡船が就航している。
 
 急潮と行き交う船の多さで知られる音戸の瀬戸90mを運行距離120m、片道3分で結ぶ日本一短い定期航路。
 
イメージ 4 音戸渡船300年の歴史があるともされる瀬戸の渡船で、時刻表はなく、午前5時半から午後9時まで運航している。
 
 渡船運賃は大人70円、小人40円、自転車込み90円(いずれも片道)。一人でもお客が乗ればすぐに出港し、また、対岸の桟橋に人が見えればすぐに迎えに来てくれる。
 
 建造から50年以上になる、長さ9m、定員50名の木造船が、音戸の瀬戸を軽快に往来し、一日2300人が利用しているという。
 
 音戸の瀬戸には1961に瀬戸内海初の本土・離島間を結ぶ音戸大橋(写真)が架けられ、橋は歩行者の通行も可能であるが、橋本体及び取り付け道路には僅かな路側帯が設置されているのみで歩道の設備はなく、また高低差があって登坂距離が長く、徒歩や自転車での横断が難儀であるため、現在も渡船が継続されている。
イメージ 5 この海峡は平安時代日宋貿易の航路として、1167平清盛(1181年、64歳で没、写真が開削したといわれている。
 
 「平氏にあらずんば人にあらず」(平家物語)とまで権勢を誇った時代に、一日で工事を完了させるために夕日を招き返したという伝説がある。また、工事安全祈願のために人柱の代わりに一字一石の経石を海底に沈めたともいわれる。
 
イメージ 6 平清盛ゆかりの土地であることから、開削800周年を記念して、立烏帽子直垂姿の平清盛が日没の方向に扇を向けて立つ姿の2.7mの銅像「日招像」(写真)が瀬戸の東側の高烏山麓「音戸の瀬戸公園」内に1967に建立された。
イメージ 7

濱田真実/音戸の舟唄
 

 
 

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