名所の少ないところなので、「ベスト20どころか、ベスト5まであるのか?」と失礼なことを言ってしまった。
小学生のときに住んでいたのは、1958年に豊田郡・竹原町と合併した忠海町、今は忠海地区と言われる地域で、実は市の中心部、竹原のことはあまり知らない。
そのベスト20は次の通り。
1位:重要伝統的建造物群 保存地区 2位:西方寺 3位:大久野島 4位:酒蔵 5位:アヲハタジャム 6位:岩乃屋 7位:お好み焼き 8位:賀茂川荘 9位:せんべい本舗黒田 10位:道の駅たけはら 11位:ほり川 12位:魚飯 13位:日の丸写真館 14位:かまぼこの近末 15位:胡堂 16位:農家レストラン西野 17位:カフェホクストン 18位:竹の茶屋いっぷく 19位:竹原格子 20位:瀬戸内マリンビュー
上記のほとんどを知らないが、このうち3位の大久野島と、5位のアヲハタジャムは忠海に関係するところだ。
そこで今回は、「大久野島」を取り上げてみたい。
忠海港発のフェリーがあり、忠海港発は、8:30から2時間おきに出港。帰りの便も考えると、最終便は15:30発の便。
大久野島発の最終便は17:13。(ただし、2月~10月の間のみ。11月~1月の間の大久野島発最終便は16:13)
フェリー乗船時間は15分程度。
毒ガスの島
大久野島には、明治30年代に日露戦争開戦に備え、芸予要塞の一角として砲台などが設置された。その後砲台は撤去されたが、陸軍は、第一次世界大戦時に、地理的な条件や秘匿の容易さなどから、大久野島を化学兵器の生産拠点に選び出した。
当時は、地元の農民や漁民、勤労動員学生ら6,500人が一定の養成期間を経て従事していた。
その後、毒ガスは終戦後、GHQや政府により、周辺海域への海洋投棄、島内での地中処分といった方法で行われ、除毒措置も施された。しかし処分は十分ではなく、現在でも島内地下4~5mの土壌で高濃度のヒ素が検出されるなど、負の遺産を受け継いでいる。
また、大久野島で働いていた職員達にも被害があった。1950年に元従業者から喉頭がんが初めて発見され、また激しい咳や膿性のタン、原因不明の頭痛に悩まされる人が相次いだ。
自分も覚えているが、忠海病院(現・呉共済病院忠海分院、写真)に多くの患者が収容されていた。これまでに約4,500人の中毒患者の治療にあたっているのだそうだ。
大久野島には現在も危険な土壌汚染地域や倒壊の可能性がある建物もあるため、立ち入り禁止になっている場所も存在するという。
ラビットアイランド
戦後はすっかり無人化し、戦争の傷跡だけが残った大久野島だったが、高度成長期の1963年、アウトドアレジャーを推進するために出来た「国民休暇村」が誘致され、海水浴場あり、キャンプ場あり、テニスコートあり、温泉ありのリゾートアイランドとして生まれ変わった。
島外の小学校で飼育されていた8羽のウサギが1971年に島に放されて野生化し、繁殖したが、 2011年の卯年(うどし)にちなんで大久野島のウサギがマスコミで取り上げられると、全国的に知られるようになった。それで、大久野島は「ウサギ島」とも呼ばれるようになった。
昨年3月にはキャンプにやってきた外国人観光客が「ラビットアイランド」としてブログに紹介し、それをきっかけに最近は海外からも注目が集まっている。
そして、ウサギの保護のため、島には補助犬以外の犬の連れ込みは禁止されているそうだ。
毎日対岸から島を眺めることが出来、子供の頃にはキャンプまでした思い出の島。
Wikipedia参照