文章を書くことに興味が湧いたのは、こんなきっかけだった。
そんな話を部下の女性にしてみたところ「部長もやってみたらどうですか」と言われ、その「人事課長のひとり言」はホームページだったが、こちらは「総務部長のひとり言」と称し社内用のイントラネットにエッセイとして連載したのが始まりだった。52歳のときである。
今でも忘れない、第1話は2001年6月17日、題名は「読書」。
いつまで継続できるか不安だったが、それが意外や意外、書いて行くことがどんどん面白くなり、第2話「腸の健康」、第3話「社内報」と続き、同年の9月1日の「社長懇親会を終えて」まで15話続いた。
しかし、好事魔多し、会社の経営環境の悪化により、それどころではなくなり終了した。
その後、この会社はある企業に買収されたが、さらに経営不振に陥り、2002年11月、大量の希望退職募集の際、辞めた。今はもうその会社は無くなっている。
それでも退職後もエッセイの興味が尽きることはなく、3社転職を重ね、「ひとり言」を止めてから3年半後の2004年12月8日、今度は会社のことを気にかける必要もなく、自分だけのために再開した。
この第1話は「拉致問題」、第2話「信仰」、第3話「失業時代を乗り切る」とあり、2006年6月18日まで25話続いた。なお、その間さらに1社転職している。辛い時代だった。
その後、新卒就活情報の大手・リクナビに採用担当者ブログのコーナーがあり、それにも何回か投稿している。
なお、このブログの記念すべき初回は、第1話:日本の方言について。転居が多かったせいで、普通の人では味わえない、たくさんの方言を見聞きすることが出来た。
7年もブログを続けているといろんな人との出会いがある。ところが、当初から続いているお付き合いは皆無である。いかにブログを長く続けることが難しいかがよく分かる。
この場で何度もお伝えしたことだが、実は、年賀状や手紙を書くことがとても苦手な「筆無精」、そしてほとんどのことが長続きしない「三日坊主」。
そんな性格の自分がよくこんなに継続できるものだと、我ながら感心している。
その「こつ」は次の二つだと思っている。


これも何度も言っているが、ネタを切らしたことがないこと。これが大きい。
現在のネタの仕掛品はこんなにある。まだ別のフォルダーに入れてあるのも加えると100は優に超える。ちなみにカッコ内は近いうちに投稿しょうと思っている題材である。
しまった。ダイレクトに書き込んだので記事の控えが残ってない。また一からやり直しだ。ガックシ!![]()

YAHOO!ブログにはいろいろ不満がある。
改善された点もあるが、いまだにブログの投稿画面が暴れて、記事にするのに大幅な時間を要するのだ。
例えばこんなことだ。左が投稿画面、右が表示画面である。入力画面と表示画面が違うことが多く、特に行間の設定が上手くいかないのだ。そのときは確認画面で修正するが、確認画面と実際に見える画面(表示画面)とがまた違うことがあるのもいらいらを募らせる。
そして挙句の果ては強制終了で画面が消える。それでもその画面が「下書き保存」されるようになって便利にはなった。ただし、上述のように、保存出来ていないことがあるのだ。
森高千里/ストレス
いずれにしても、これからもブログライフの充実に向けて頑張っていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。

それでは最後に定番曲を。
映画「ネバー・エンディング・ストーリー」テーマ曲(1984年)