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シャンソンの名曲をイージーリスニングで

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 家にいるときはときどきシャンソンを聴きたくなる。心が落ち着く曲が多い。
 
  そして、ポール・モーリアをはじめ、フランスにはイージーリスニングの巨人が大勢いる。シャンソンは演奏だけでも楽しめる。
 
 調べてみると、第二次世界大戦前後、特に名曲を輩出しているが、レジスタント運動と無縁ではなさそうだ。今回もシャンソンの名曲を、歌と演奏で楽しんでみたい。
 
 まずはこの曲から。
 
ナナ・ムスクーリ アンドレ・リュウ/愛の喜びは
 
イメージ 5愛の喜びは」Plaisir d'Amour)は、作詞:ジャン・ピエール・フロリアンジャン・ポール・マルティーニ(1816年、74歳で没、写真が作曲した18世紀の古典的なシャンソン。
 
 後に、大ヒットしたエルヴィス・プレスリー好きにならずにいられない」の原曲である。
 
 日本では、好んで結婚式のBGMにも使われるが、「愛の喜びは長続きしない。愛の苦しみだけが長続きする。僕のつれないシルヴィアは…」というもので、恋愛賛美の内容ではなく、不実な恋人についての愚痴を歌っている。
 

イメージ 6 続いて、リュシエンヌ・ボワイエ(1983年、80歳で没、写真)の代表作品を2曲。「聞かせてよ愛の言葉をParlez-moi d'amour、1930年)、私の心はバイオリン」Mon cœur est un violon、1945年)。
 
 フランス・パリのモンパルナス地区生まれ。第一次世界大戦で父親を失い、家族を支えるため軍事工場で働き16歳頃からキャバレーや小劇場の舞台にあがり歌手としての一歩を踏み出した。その後の1927年、米国人プロデューサーで劇場オーナーのLee Shubertに認められ渡米しブロードウェイでの出演を経て、1928年フランスで最初のシングルをリリースした。
 
リュシエンヌ・ボワイエ リチャード・クレイダーマン/聞かせてよ愛の言葉を
 

リュシエンヌ・ボアイエ フランク・プウルセル/私の心はヴァイオリン
 

イメージ 1  エディット・ピアフ(1963年、47歳で没、写真)は、フランスで最も愛されている歌手の一人であり、国民的象徴であった。
 
 有名な曲としてはばら色の人生」La vie en rose、1946年)、愛の讃歌」 Hymne àl'amour、1949年)、「ミロール(Milord、1959年)、水に流して」Non, je ne regrette rien、1960年)などがある。
 
 波乱万丈だった彼女の人生だったが、シャルル・アズナヴール(現在90歳)のデビューを手助けし、自らのフランス、アメリカでの公演旅行に同伴させた。アズナブールの他にも、イヴ・モンタンジルベール・ベコージョルジュ・ムスタキなどピアフに才能を見出された歌手は多い。
 
 ピアフの生涯の大恋愛はプロボクサーマルセル・セルダンとのものであるが、セルダンは1949に飛行機事故死している。
 
ピアフの代表曲で、1998年にグラミー賞名誉賞を受賞した「ばら色の人生」は、第二次世界大戦ドイツ占領下に書かれた。
 
 この時期彼女は大変な成功を収め、大きな人気を得る。ワン・ツークラブでドイツ軍高官のために歌を歌うことでピアフはフランス兵捕虜との写真をとる権利を得る。それは表面的には士気を高めるためのものとして行われたが、捕虜達は彼女と共に撮った写真から自らの写った部分を切り取って、脱走計画に使用する偽造文書に貼り付けた。今日、ピアフのレジスタンス運動への貢献はよく知られており、多くの人々が彼女によって救われたという。
 
エディット・ピアフ ポール・モーリア/バラ色の人生
 

イメージ 2パリの空の下」Sous leciel de Paris)は、ジャン・アンドレ・ドレジャック作詞、ユベール・ジロー作曲のシャンソン
 
 フランス映画パリの空の下セーヌは流れるSous le ciel de Paris、1951年、写真)の挿入歌でもあり、リーヌ・ルノーが創唱した。エディット・ピアフの録音がかなり普及している。歌なしで演奏されることも多い。
 
エディット・ピアフ レイモン・ルフェーヴル/パリの空の下
 

 
イメージ 3 シャルル・トレネ(2001年、87歳で没、写真)は南フランスのナルボンヌ生まれ。父リュシアンは公証人で、ヴァイオリンを弾いた。母がハープ、兄がハープシコード、叔母がピアノをたしなみ、土曜になると自宅の居間で演奏会を催し、近所の人たちから音楽一家と呼ばれたという。
 
 優しく軽やかな歌声とパフォーマンスで「歌う狂人(道化師)」(Fou Chantant)と称された。「ブン」 (Boum)ラ・メール」 (La mer)「詩人の魂(L'âme des poètes)などトレネの曲は、彼自身のみならず、後の多くの歌手たちによって世界的に歌われている
 
 「ラ・メール」は1943年、トレネの巡業中、モンペリエからペルピニャンに向かう列車の中で書かれた。発表されたのは戦後である。
 
シャルル・トレネ マントヴァーニ/ラ・メール
 

イメージ 4 イヴ・モンタン(1991年、70歳で没、写真)はイタリア・トスカーナ州の人口2万人の町モンスンマーノ・テルメ出身で、フランスで活躍した俳優シャンソン歌手
 
 当時台頭してきたムッソリーニファシスト政権を嫌い、1923に家族でフランスに移住した。マルセイユで育ち、港で働いたり、姉の経営する美容室で働くなどしていたが、次第にミュージック・ホールで歌うようになる。1944エディット・ピアフに見出され、彼女はモンタンにとって助言者また愛人となり、2人の関係は数年の間続いた。
 
 1945に映画デビュー。1946に出演した『夜の門』で、主題歌の枯葉を歌ってヒットさせた。
 
「枯葉Les Feuilles mortes )は、1945ジョゼフ・コズマが作曲し、後にジャック・プレヴェールが詞を付けた、シャンソンの代表的なナンバーである。
 
 この曲が本格的に広まったのはインストゥルメンタル版でポピュラー・ピアニストのロジャー・ウィリアムズがヒットを飛ばしてからであった。ウィリアムスのバージョンは、枯葉の舞い散る様をピアノで模したきらびやかなアレンジが大衆に大受けして1955年に全米ヒットチャートで4週連続第1位を達成している。
 
イヴ・モンタン ロジャー・ウィリアムス/枯葉
 

Wikipedia参照
 
 
 
 
 

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