前作フレンチポップスをイージーリスニングで少し触れたが、何もシャンソン歌手はフランス人とは限らない。
「枯葉よ」のイブ・モンタンはイタリア生れ、「ラ・ボエーム」のシャルル・アズナブールはアルメニア人の血が流れ、「思い出のソレンツァーラ」のエンリコ・マシアスはアルジェリア系である。
サルバトーレ・アダモ(現在71歳、写真)もフランス人ではない。1943年、イタリアはシチリア島の人口3万人の町・コーミゾに生まれた。(地図参照) 彼自身、シチリア島の記憶はないが、自分はイタリア移民だと言っている。なお、国籍はイタリアである。
親日家として知られ、1967年(23歳)に初来日以来、30回以上の来日公演を行っており、2010年にも来日した。
当然、日本にも数多くのファンが存在し、特にタレント・演出家のテリー伊藤は来日公演は欠かさず行っていると公言しているそうだ。
機を同じくして、アダモと出会い、彼の2週間にわたるオランピア劇場でのコンサートにゲストとして招かれフランスで活躍したことがある。(Wikipedia参照)
今回はそのサルバトーレ・アダモの歌と、ポール・モーリアとカラベリが奏でるストリングス中心のサウンドで楽しんでいただきたい。
サン・トワ・マミー(Sans toimamie)(1963年)
まずは、19歳の1962年に作詞・作曲し、翌年の1963年にヒットした彼の代表曲「サン・トワ・マミー」から。
原曲は、「分かっている 全てが終わったのは 僕は君の信頼を失ってしまった それでも お願いだから もう一度チャンスをおくれ 僕の後悔をきいて 君の気持が変わらなくても 君が間違っているとはいえない でも どうか心を開いておくれ」(中村敬子訳)という少年時代の失恋の想い出を語っている。
雪が降る (Tombe laneige)(1964年)
夜のメロディー(La nuit)(1964年)
おさげ髪の少女(Une mèche decheveux)(1964年)
夢の中に君がいる(Mes Mains surtes Hanches)(1965年)
インシャラー(Inch'Allah)(1966年)
最後はこの曲、1966年(22歳)のとき、イスラエル巡業中にテルアヴィブのホテルの一室で書きあげた名曲「インシャラー」。
個人的にはアダモの歌の中で最も好きな曲。
平和を願うこの歌は売り上げの新記録をつくり、高く評価された。彼は戦いの犠牲になった人々のレクイエム(鎮魂歌)にすべく書いたはずだった。
しかし、皮肉なことにその翌年の1967年に第三次中東戦争が勃発し、アラブ諸国の反感を買い、反イスラエル勢力からは激しい攻撃を受ける。その後1993年にイスラエルとPLOの歴史的握手に対応して歌詞を改変したそうだ。
なお、「インシャラー」とは、神の御心のままにの意。イスラム教で絶対神、アラーをたたえる言葉。
優しく語りかけるようなハスキーヴォイス。日本で絶大な人気があるのも分かるよね。