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アダモの歌をイージーリスニングで

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  前作フレンチポップスをイージーリスニングで少し触れたが、何もシャンソン歌手はフランス人とは限らない。
 
 「枯葉よ」イブ・モンタンはイタリア生れ、「ラ・ボエーム」シャルル・アズナブールはアルメニア人の血が流れ、「思い出のソレンツァーラ」エンリコ・マシアスはアルジェリア系である。
 

 
イメージ 1 サルバトーレ・アダモ(現在71歳、写真)もフランス人ではない。1943年、イタリアはシチリア島の人口3万人の町・コーミゾに生まれた。(地図参照)  彼自身、シチリア島の記憶はないが、自分はイタリア移民だと言っている。なお、国籍はイタリアである。

 
イメージ 2 貧しい炭鉱夫だった父を持つ大家族の中で育ち、3歳のときにベルギーの小さな町、ジュマップに移住した。そこはフランス語圏で、彼は誰よりも早くフランス語を覚えたという。それで、ベルギーの歌手と言われることもある。
 
 親日家として知られ、1967年(23歳)に初来日以来、30回以上の来日公演を行っており、2010年にも来日した。
 
 当然、日本にも数多くのファンが存在し、特にタレント・演出家のテリー伊藤は来日公演は欠かさず行っていると公言しているそうだ。
 
イメージ 3 岩谷時子(2013年、97歳で没、写真)は、越路吹雪のマネージャーをしたことでも知られているが、その持ち歌である「サン・トワ・マミー」夢の中に君がいる」の訳詩家でもある。もちろん、原曲はアダモの歌だ。
 
イメージ 4 作詞家・安井かずみ(1994年、55歳で没、写真)は、1969年から離婚後の傷心の身でパリに住んでいたが、アダモの「雪が降る」を訳詩したことで彼と交友関係を持ち、癒されたことがある。
 
 
イメージ 5 そして、五輪真弓(現在64歳、写真)もまたアダモのお世話になった歌手だ。1976、彼女のアルバム『Mayumity』を絶賛したCBSフランスから現地(フランス)でのアルバム制作の申し出があり、初めての渡仏。翌年全フランス語によるMAYUMIが発売された。
 
 機を同じくして、アダモと出会い、彼の2週間にわたるオランピア劇場でのコンサートにゲストとして招かれフランスで活躍したことがある。(Wikipedia参照)

 今回はそのサルバトーレ・アダモの歌と、ポール・モーリアカラベリが奏でるストリングス中心のサウンドで楽しんでいただきたい。
 
サン・トワ・マミー(Sans toimamie)(1963)
 
 まずは、19歳の1962年に作詞・作曲し、翌年の1963年にヒットした彼の代表曲「サン・トワ・マミー」から。
 
 原曲は、分かっている 全てが終わったのは 僕は君の信頼を失ってしまった それでも お願いだから もう一度チャンスをおくれ 僕の後悔をきいて 君の気持が変わらなくても 君が間違っているとはいえない でも どうか心を開いておくれ」(中村敬子訳)という少年時代の失恋の想い出を語っている
 

雪が降る (Tombe laneige)(1964年) 
 

夜のメロディー(La nuit(1964)
 


おさげ髪の少女(Une mèche decheveux)(1964年)
 


夢の中に君がいる(Mes Mains surtes Hanches)(1965)
 

インシャラー(Inch'Allah(1966)
 
 最後はこの曲、1966年(22歳)のとき、イスラエル巡業中にテルアヴィブのホテルの一室で書きあげた名曲「インシャラー」
 
 個人的にはアダモの歌の中で最も好きな曲。
 
 平和を願うこの歌は売り上げの新記録をつくり、高く評価された。彼は戦いの犠牲になった人々のレクイエム(鎮魂歌)にすべく書いたはずだった。
 
 しかし、皮肉なことにその翌年の1967年に第三次中東戦争が勃発し、アラブ諸国の反感を買い、反イスラエル勢力からは激しい攻撃を受ける。その後1993年にイスラエルとPLOの歴史的握手に対応して歌詞を改変したそうだ。
 
 なお、インシャラー」とは、神の御心のままにの意。イスラム教で絶対神、アラーをたたえる言葉。
 

 優しく語りかけるようなハスキーヴォイス。日本で絶大な人気があるのも分かるよね。
 
 

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