その最後から10日経ち、少し間が空いたが、締めくくりに「日本の歌姫」に触れてみたい。
なぜこんなに遅れたかと言うと、選考が難しいからだ。世代により、また好みにより随分見方が違うはずだ。
●常識的な線の日本の歌姫
図はこの結果を表にまとめたものだ。
自分はかろうじて60代に属するが、これを見ると妥当な評価だと思う。
●自分が選んだ日本の歌姫
■歌謡曲:美空ひばり、島倉千代子、ちあきなおみ、八代亜紀、西田佐知子、倍賞千恵子。
■フォーク:森山良子、本田路津子。
■ニューミュージック:中島みゆき、松任谷由実、五輪真弓。
■アイドル:松田聖子、中森明菜、山口百恵、天地真理。
この中からBest5を選ぶ。
1位:ちあきなおみ 2位:倍賞千恵子 3位:中島みゆき 4位:松任谷由実 5位:松田聖子
「常識的な線」の上表とは少し違う。これは好みの問題なので致し方ない。
もうだいぶ前の記事ばかりだが、ブログを調べてみたところ、表の通り、その5人ともそれぞれ、複数回紹介している。
1位:ちあきなおみ
2位:倍賞千恵子
3位:中島みゆき4位:松任谷由実5位:松田聖子
その中でも、ユーミン(松任谷由実)はダントツで、13回も登場している。
そのときはユーミンの曲を鼻歌で歌っていたものだ。(地図)
1912年から100年も続いている、地元では有名な老舗の呉服店「荒井呉服店」。彼女は、1954年二男二女の第三子(次女)として生を得た。
なお、全体的にYouTubeの映像を貼り付けている部分が多く、削除だらけであまりお役に立てないかも知れないのでご容赦を。
それでは「自分が選んだ日本のディーヴァ」を紹介していこう。
以前のブログで、紅白歌合戦に「思い出の歌手」として出演して欲しい、リタイヤした女性歌手の3人を選び紹介したことがあった。
その3人とは、山口百恵、西田佐知子、そして、ちあきなおみ(写真)のことである。
44歳という若さで引退。その後27年経ち、今は71歳。
「伝説の歌手」となり久しいが、今でもCD全集が出され、人気の衰えることを知らない。
1970年「四つのお願い」がヒットし、人気歌手となる。1972年、代表曲となる「喝采」が第24回日本レコード大賞を受賞、80万枚の大ヒットとなる。
結婚を機にヒットを狙うのではなく、自分が歌いたい歌を歌っていくことに方向転換し、それが伝説の歌手になるきっかけとなったという。
彼らは、芸能人のお見合い番組「ラブラブショー」(フジテレビ系、1970~1979年)でカップルになったうちの一組である。
ちなみに、この番組では、三浦友和・山口百恵夫妻、関口宏・西田佐知子夫妻、石坂浩二・浅丘ルリ子夫妻(2000年に離婚)、三條正人・香山美子夫妻(2017年死別)、千昌夫・ジョーン・シェパード夫妻(1988年に離婚)、井上順・青木エミ夫妻(1982年に離婚)、和田浩治・梓みちよ夫妻(1971年に離婚)と、錚々たるメンバーが結婚した。(Wikipedia参照)
それが、郷とは1992年に肺ガンで死別。郷が荼毘に付されるとき、柩にしがみつき「私も一緒に焼いて」と号泣したという。郷の死去以降は一切の芸能活動を停止。引退宣言もないまま現在まで、公の場所にも全く姿を現していない。今どうしているのだろうか。
それが、郷とは1992年に肺ガンで死別。郷が荼毘に付されるとき、柩にしがみつき「私も一緒に焼いて」と号泣したという。郷の死去以降は一切の芸能活動を停止。引退宣言もないまま現在まで、公の場所にも全く姿を現していない。今どうしているのだろうか。
ところで、今から9年前、入社して初めての年の仕事納めの日、会社の納会を終えて一人でぶらりと入ったスナックで、そこのママと音楽のことで話が弾んだことを思い出した。
どうせ「美空ひばり」と答えるだろうと思いつつ、「日本で一番歌の上手い歌手はだれだろう」という話に及び、そこでママから期せずして「ちあきなおみ」と言われ驚いたことがある。わたしも同意見だったからである。さらにお酒が弾んだことは言うまでもない。
スナックに入ったら何か歌わないわけには行かないだろう。
■黄昏のビギン(1991年)
ちあきは、オリジナルの歌手が舌を巻いて逃げだしそうなカバー曲も多い。
そのときママからそのカバー曲の一つ、「黄昏のビギン」のリクエストがあり、歌った。
彼の歌とは少しメロディが違う。自分は水原弘のメロディを選んだ。
■矢切の渡し(1978年)
自分の歌える彼女の持ち歌はその他では次に紹介する「矢切の渡し」だけである。
1978年当時のUSENのチャートではちあき盤が首位を独走していた。それが、細川盤の発売にあたって、細川の所属する日本コロムビアはすぐにちあき盤を生産中止にしている。
芸能界の黒い霧を垣間見た感じで嫌になったことがある。
ひょっとすると、ちあきはこのようなレコード業界の体質がいやで、あっさり引退したのかも知れないね。
実は女友達と一度行って渡し船にも乗ったことがある。何にもないところだったが、今から14年前の55歳、自分が失業時代の懐かしい思い出だ。
ちあきなおみ/紅とんぼ(1988年)
●2位:倍賞千恵子
彼女は、歌謡曲からポピュラー、スタンダードに童謡・唱歌まで幅広いジャンルを歌いこなせることに加え、日本語の発音の美しさから歌手としての評価も非常に高い。17年前(2001年)に乳がんを患いながら克服し、現在でも精力的に音楽活動を続けている。
彼女の公式ウェブサイトによると、一昨日(12/9)も横浜みなとみらいでコンサートを行っているそうだ。観た人は幸せ者だね。
アクトレスとしてもシンガーとしても、日本に残された数少ない逸材であり、もっと長生きをして欲しいと思うタレントの一人だ。
アクトレスとしてもシンガーとしても、日本に残された数少ない逸材であり、もっと長生きをして欲しいと思うタレントの一人だ。
彼女はみすず児童合唱団に所属し、幼少時から「のど自慢荒らし」としても知られていたそうだ。
1961年、松竹映画にスカウトされ松竹歌劇団(SKD)を退団し、『斑女』(中村登監督)で映画デビュー。
■下町の太陽(歌:1961年、映画:1963年)
1961年といえば、22歳。本人はちゃきちゃきの江戸っ子のようだが、これで彼女の清楚で庶民的なイメージが出来上がった。
その映画に主演して以来、彼女は、山田洋次監督(現在87歳、写真)作品に欠かせない女優となる。
国民的人気映画となった『男はつらいよ』シリーズは、全48作の配給収入が464億3千万円、観客動員数は7,957万3千人を記録。
みんな、東京の下町だ。
本人は、西巣鴨生まれ、近くの東京都北区滝野川(赤印)に育つ。父は都電の運転士だったというから、元々庶民派ではある。
「下町の太陽」の舞台は、東京スカイツリーに近い、東京都墨田区の曳舟駅(京成線・東武線)(青印)付近にあった資生堂の石鹸工場などの工場群。
「下町の太陽」の舞台は、東京スカイツリーに近い、東京都墨田区の曳舟駅(京成線・東武線)(青印)付近にあった資生堂の石鹸工場などの工場群。
「男はつらいよ」の舞台の葛飾区柴又も、荒川をはさむが、割と近いところにある(地図の右上)。
■山田洋次監督作品
『男はつらいよ』シリーズの合間を縫って『家族』(1970年)、『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)『遥かなる山の呼び声』(1980年)をはじめ、山田が発表したオリジナル大作にも出演。
『キネマの天地』(1986年)まで、延べ60本以上の作品に渡って、倍賞千恵子が全て主役や準主役として出演、海外でも殆ど例のない長期の監督・女優コンビである。
生涯を通じて「家族」をテーマにした映画を世に出してきた山田洋次監督。
(写真左から、倍賞千恵子、前田吟、浅丘ルリ子、山田洋次監督、夏木マリ、後藤久美子、吉岡秀隆)
倍賞千恵子/さくら貝の歌
倍賞千恵子/忘れな草をあなたに
続く。