画像はクロード・モネ 「日傘の女性」(1886年)
子供の頃だと夏休み。海や川へと遊びに出掛ける楽しい思い出ばかりだが、今はそうはいかない。熱中症にならないか心配だらけの毎日である。
「太陽」で思い出されるのは1960年代、「太陽」という名のつくヨーロッパの映画がやたら多かったことである。
それがことごとくヒットし、しかも「すこぶるつき」のいい主題曲ばかりだったが、今ではその区別が付かなくなった。
ここで整理をしてみたい。
題名 | 公開 | 製作国 | 監督 | 主役 | 主題曲 | 歌手 (演奏者) |
太陽が いっぱい | 1960 | イタリア フランス | ルネ・クレマン | アラン・ドロン マリー・ラフォレ | 同 名 | ニーノ・ロータ |
太陽の誘惑 | 1960 | イタリア | フランチェスコ・マゼリ | C・カルディナーレ ジェラール・ブラン | 同 名 | ファウスト・パペッティ |
太陽は ひとりぼっち | 1962 | イタリア | ミケランジェロ・アントニオーニ | アラン・ドロン モニカ・ヴィッティ | 同 名 | コレット・テンピア楽団 |
太陽の下の 18歳 | 1963 | イタリア | カミロ・マストロチンクェ | カトリーヌ・スパーク | 同 名 | ジミー・フォンタナ |
太陽は 傷だらけ | 1963 | フランス | クリスチャン・マルカン | ロベール・オッセン | 同 名 | ミシェル・マーニュ |
太陽のかけら | 1965 | スウェーデン | グンナール・ヘグルント | マチアス・ヘンリクソン マウデ・アデルソン | 同 名 | ロジャー・ベネット |
いつも心に 太陽を | 1967 | イギリス | ジェームス・クラベル | シドニィ・ポアチエ | 同 名 | ルル |
まずはこの映画から。
ニーノ・ロータ/太陽がいっぱい(Plein Soleil)(1960年)
「太陽」といえば真っ先にこの映画が思い浮かぶ。
映画「太陽がいっぱい」は、ルネ・クレマン監督で、フランスとイタリアの合作映画。パトリシア・ハイスミスの小説「才人リプレイ君」を原作にしたサスペンスタッチの作品。
共演のマリー・ラフォレ(現在74歳、写真右)はこの映画がデビュー作で、一躍フランスのアイドルとなった。
ファウスト・パペッティ/太陽の誘惑(I Delfini)(1960年)
*音量が小さいので大きくして聴いて下さい。
コレット・テンピア楽団/太陽はひとりぼっち(L'Eclisse)(1962年)
ジミー・フォンタナ/太陽の下の18歳(Diciottenni al sole)(1963年)
ミッシェル・マーニュ/太陽は傷だらけ(Les Grands Chemins)
ロジャー・ベネット/太陽のかけら(Kungsleden)(1965年)
*音量が小さいので大きくして聴いて下さい。
短編映画作家グンナール・ベゲルンドの長編の第一作目の作品で、彼が監督した若い日への郷愁をロマンティックに描いた青春もの。
「スウェーデン北部のハイキング・コース」として知られるKungsleden「王の道(帝王の道)」を歩き、過去の甘くて苦い思い出をよみがえらせる。
主題曲の作曲者はミハエル・ホルム、メインのバスクラリネットを吹いているのはロジャー・ベネット。
「スウェーデン北部のハイキング・コース」として知られるKungsleden「王の道(帝王の道)」を歩き、過去の甘くて苦い思い出をよみがえらせる。
主題曲の作曲者はミハエル・ホルム、メインのバスクラリネットを吹いているのはロジャー・ベネット。
Kungsleden(国王のトレイル)は北のAbiskoと南のSalenの間の北スウェーデン(長さおよそ440kmのハイキングコース。Hemavanはヨーロッパの最大の自然環境保護区の1つ。
ルル/いつも心に太陽を(To Sir, With Love)(1967年)
シドニー・ポアチエが先生役で主演する感動の映画「いつも心に太陽を」。ギアナ国連大使E・R・ブレイスウエイトの自伝小説が原典。
この曲は世界中で400万枚を売り上げた大ヒット作。
ビルボード全米チャート5週連続1位を記録し、1967年の年間チャートでもビートルズ、ザ・モンキーズらを抑えNO1を記録した。
これらの題名を日本語に翻訳した場合、「太陽がいっぱい」、「太陽の下の18歳」は意訳になっているが、「太陽の誘惑」は「私はイルカ」、「太陽はひとりぼっち」は「日食」、「太陽は傷だらけ」は「主要な鉄道」、「太陽のかけら」は「王様の道」、「いつも心に太陽を」は「先生、愛しているよ」で、どうしてこんな邦題にしたのかよく分からない。