「花」の歌の特集を続けている。
まだ、観賞用ではない花の歌と、「花」の歌だけだが、これからいくつかのテーマで投稿しようと考えている。
今回は、海外の「花」の歌を日本人が歌うというテーマで特集してみた。
基本的に左が日本人のカバー、右がオリジナルの外人が歌う(演奏する)。
まずは、この2曲から。
ザ・ピーナッツ/サンドロ・ベンコ 可愛い花(1959年)
○「可愛い花」は、1959年(当時18歳)に発表されたザ・ピーナッツのデビュー曲で、和製ポップスのはしりと呼ばれている曲。元の歌はフランス歌謡の「Petite Fleur」(「小さな花」)で、シドニー・ベケットが作曲した。
音楽家の故宮川泰氏に歌唱指導を受け、「恋のフーガ」「恋のバカンス」など大ヒット曲を連発。エミさんがハーモニー、妹の伊藤ユミさん(写真右)がメロディの歌唱は一卵性双生児ならではの美しさで聴く者の心をとらえ、テレビ創生期とも重なり、国民的な人気を獲得したアイドルだった。
1975年(当時33歳)、歌手生活16年で引退し、エミさんはその年、沢田研二と結婚したが、12年後の1987年に、現在は彼の妻・田中裕子との不倫が発覚して離婚。以後は東京・世田谷区内の自宅で、息子とユミさんと3人で静かに暮らしていたという。(Wikipedia参照)
ザ・ピーナッツ/カテリーナ・ヴァレンテ 情熱の花
歌詞は「ララララー…小さな胸に」より始まるものと、「ララララーラー…私の胸に」で始まるものとの合計2種類が存在しているそうだ。(Wikipedia参照)
伊東ゆかり/ウィルマ・ゴイク 花のささやき(1966年)
ウィルマ・ゴイクは、1964年(当時18歳)にデビュー。1965年からサンレモ音楽祭に参加し、花咲く丘に涙して(Le colline sono in fiore)で入賞。1966年の入賞曲・花のささやきは日本のチャートでも上位にランクされ、ジリオラ・チンクエッティ、ボビー・ソロ等と日本のカンツォーネ・ブームを担った。(Wikipedia参照)
ウィルマ・ゴイク/花咲く丘に涙して(1965年)
忌野清志郎/ザ・キングストントリオ 花はどこへ行った(1961年)
○日本でもここで紹介する忌野清志郎他多くのミュージシャンがカバーした「花はどこに行った」(Where have all the flowers gone?)は、ヴェトナム戦争時代の反戦ソングとして一斉を風靡した曲。
1955年、ピート・シーガーが制作。ロシアの作家、ミハイル・ショーロホフの『静かなドン』の最初のほうに出てくる、コサックの民謡の歌詞にヒントを得たのだという。
1961年、キングストン・トリオがこの曲を録音して発表し、1962年には、ピーター・ポール&マリーによってもカバーされた。
歌詞は、「花はどこへ行った 少女がつんだ」→「少女はどこへ行った 男の下へ嫁に行った」→「男はどこへ行った 兵隊として戦場へ」→「兵隊はどこへ行った 死んで墓に行った」→「墓はどこへ行った花で覆われた」と続き、再び冒頭の「花はどこへ行った 少女がつんだ」となる。
「戦争がいつまでも繰り返され、いつになったらその愚かさに気づくのか?」というメッセージで、今度こそもう戦争は絶対に止めようという思いを込めて盛んに歌われることとなった。(Wikipedia参照)